地元に伝わる蘭丸の幼少期の逸話の中に弟(忠政)と茶の湯ごっこをする話が残っています。長可は家臣たちに茶器の鑑賞会のようなこともしていたとか。実は兼山茶なるものがありました。その始まりはわかりませんが、尾張徳川家に献上していた記録が残っています。当時は「鶴島茶」と呼ばれていたようです。
私が小学生の頃は「兼山銘茶」の名で売られていました。が、気がついたらなくなっていました。
先日兼山の人に聞いたら、戦後の高度経済成長期に手作業で製造していたが、自家用車も普及し「働きに出た方が収入がよい」ということがわかり、みんなやめてしまったのだとか。
今もお茶の木は生垣として残っている場所もあるが、興味がなくなるとこんなものかと侘しさを感じる。
観光土産の一つとして「兼山鶴島茶」でもできないか?可児市にはまだお茶の生産販売業者が残っているのに。
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